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札幌地方裁判所 昭和26年(行)22号 判決 1956年7月09日

原告 木戸口四郎蔵 外四六名

被告 北海道知事

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

事実

請求の趣旨。

「北海道農地委員会が昭和二六年七月五日別紙第三、第四目録記載の土地についてした牧野売渡計画変更処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求める。

請求の原因。

北海道農地委員会は昭和二五年七月四日政府の所有に属する牧野である北海道浦河郡浦河町所在の農林省日高種畜牧場用地について自作農創設特別措置法第四一条第一項第二号、第二項、第一八条の規定に基く牧野売渡計画を樹立し、同日北海道知事の認可を得た。右売渡計画によれば、団体として、牧場所在の町である浦河町および浦河町農業協同組合に、個人として、牧場隣接部落民で自作農として農業に精進する見込ある者に、分割して売渡すこととなつた。その個人売渡の対象地となつたのがすなわち、浦河町字上向別部落の原告木戸口四郎蔵外二七名に対する別紙第三目録記載の牧野(以下、本件第一牧野という)と同町字上杵臼部落の原告福岡松蔵外一八名に対する別紙第四目録記載の牧野(以下、本件第二牧野という)であつて、原告らはすべて古くから牧場に隣接する各自の農耕地と地続きの牧場用地の一部を放牧地として使用し、殊に昭和一二年以後は同牧場長との契約に基き右用地の使用によつて牛馬の放牧や飼料の収穫等牧畜の業務を営む同牧場の小作農であつて、道農地委員会の前記牧野売渡計画樹立に先立ち自創法の定めに従い牧野買受けの申込みをして、売渡計画に組入れられたものである。ところが道農地委員会はその後満一ケ年を経過した昭和二六年七月五日に至つて右売渡計画を変更し、右計画を取消してこれに代るべき新計画を樹立し、さらに知事は、右新計画を認可した。右変更処分によれば、本件第一、第二牧野ともにこれを原告らに売渡されることは取消され、浦河町農業協同組合に対し同組合に売渡されるべき他の部分と一括して売渡されるのである。そのため本件牧野の分割売渡を受けるべき原告らの既得権は侵奪され、しかも原告らは従来の小作牧野を喪失し、延いては原告らの牧畜業は潰滅の虞れがあり農業経営も不可能になる。かく多数の原告らの重大な権利、利益を根本的に侵害しながら、他面何ら正当事由を有せずに行われた本件牧野売渡計画変更処分はまことに違法である。そもそも牧野売渡計画のように私人に対し権利ないし法律上の地位を設定する行政処分は、処分庁の自由裁量によつて取消・変更しうるものではない。原告らは売渡計画樹立当時の本件牧野使用者であり且つ将来自作農として農業に精進する見込のある者であつて、正に売渡を受けるべき最適格者であり第一順位者であるべきである。しかも売渡計画に対する知事の認可により原告らの本件牧野の売渡を受けるべき権利は確定的に設定されたのであつて、道農地委員会はもはや何らの正当事由なく自由裁量により本件売渡計画を変更して原告らの権利を侵害覆滅することはできない。

よつて知事の売渡処分の実施に先立ち本件牧野売渡計画変更処分の取消を求める。

請求の趣旨に対する答弁。

「原告らの請求を却下する。訴訟費用は原告らの負担とする。」

との判決を求める。

仮りに右請求が理由がないときは、

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」

との判決を求める。

請求の原因に対する答弁。

一  本案前の抗弁。

およそ抗告訴訟の対象となるべき行政処分は、一個の独立した行政処分としてそれ自体の法律上の効力を生じているものでなければならない。しかるに政府所有牧野の売渡計画の樹立は、上級行政庁の認可を得たからといつて、ひつきよう売渡処分のための行政庁内部における前段階行為、行政庁の内部的意思決定に過ぎず、当該売渡計画に従つて売渡を受けるべき者に対しても未だ何らの具体的法律効果を生じていないものである。牧野の売渡を規定する自創法第四一条は、政府所有の牧野の売渡計画について農地売渡計画に関する諸規定(同法第一八条第一乃至第三項、第五項)を準用しながら、ひとり公告縦覧の規定(第四項)のみは準用から除外しているのであるが、このことはひつきよう政府所有の牧野の売渡計画については、市町村農地委員会が定めた牧野買収計画により買収した牧野を売渡す場合と異り、公告によつて当該計画の対外的法律効果を生ぜしめる必要がないこと、さらに縦覧手続を経て異議・訴願の手続をも必要とするに足る理由もないこと、すなわち、利害関係人たる買受申込者といえども、当該国有地が申込どおりに必ず自己に売渡されるべきことを要求する等、売渡計画に対し不服を申立てるに足る具体的権利を法認されるに至つていないことを明示しているものといわねばならない。政府所有の牧野売渡計画の法律上の性質がそうである以上、それを変更する処分の法律上の性質も同じであるべきものであるから、たとえ変更に対し知事の認可があつても、要するに行政庁の内部的意思決定の変更に過ぎず、公告縦覧の必要もなく、未だ利害関係人の権利を侵害すべき法律効果を生じている一個の独立した行政処分とはいえず、抗告訴訟の対象とはならない。

二  請求原因事実に対する認否及び被告の主張。

原告らの主張事実中、原告らが農林省日高種畜牧場の小作農であつたこと、本件牧野売渡計画変更処分が何ら正当事由のないものであり、原告らの牧畜業を潰滅させるものであること、は否認。その余の事実はすべて認める。

三  仮りにそうでないとしても、本件牧野売渡計画変更処分は次のような正当事由を有し適法妥当であつて、取消されるべきかしを有しない。

1  変更処分による新計画は変更前の売渡計画に比較して日高種畜牧場用地の牧野利用上の合理性において優れている。

変更前の売渡計画は日高種畜牧場用地を浦河町、浦河町農業協同組合、原告ら隣接部落民に分割して売渡そうとするものであること前述のとおりであるが、原告ら個人に分割売渡されるべき部分すなわち本件第一、第二牧野はともにその日高種畜牧場用地全体に対して占める位置と地形的関係、生育の牧草、水飲場たる沢地、立木等牧場存立要件充足の観点からいつて、牧場用地全体が牧野として有機的な綜合的利用価値を保持するため重要不可欠の部分であり、これを牧場用地全体から切離すことによつて全用地の牧野として効用は著るしく減殺されてしまう。特に浦河町農業協同組合が売渡を受けるべき部分についてそうであつて、当該部分の牧野は本件第一、第二牧野によつてその前面出入路を扼せられた奥地に当り、本件第一、第二牧野を切離されることによつて牧野利用上著るしく制約を受け、反対に本件第一、第二牧野を併合することによつてその牧場価値を著るしく高度化する。しかも日高種畜牧場用地のような大団地はこれを細分化して個人個人に利用するより大面積のまま一定の管理方式に基いて共同利用することが牧野の高度利用となる。共同放牧場は北海道においても多く存在し良好な成績を挙げている。本件売渡計画は、このように重要な本件第一、第二牧野を、原告ら多数の個人に細分化してしまうのであつて、日高種畜牧場用地の合理的牧野利用計画として大局的に著るしく不当であつて是正されるべきものである。よつてこれを変更して、本件第一、第二牧野を浦河町農業協同組合に売渡すべき部分と併せて同協同組合に対し一括売渡すこととした本件変更処分は適法妥当である。

また原告らはもともと本件第一、第二牧野の原告ら各自への売渡予定地について正当な牧野小作権を有していたものではなく、自己の農耕地に隣接する右牧野の一部を適宜に家畜の飼料採草地或いは放牧地として日高種畜牧場長の黙認の下に事実上使用していたものに過ぎず、原告らの営む牧畜業はこのような事実上の利益の上に立つて行われていたに過ぎないから、これを正当な牧野小作権の上に立つ牧畜業と同一に論ずることはできない。右事情は本件牧野売渡計画樹立後に調査の結果道農地委員会に判明したのであつて、道農地委員会が本件牧野売渡計画を変更し原告らへの売渡予定地を浦河町農業協同組合へ売渡すこととしたことによつて原告らはかかる事実上の利益を失うに過ぎない。

しかも、原告らはいずれも浦河町農業協同組合所属の組合員であり、本件牧野売渡計画の変更処分によつて、個人的に牧野所有権を取得することができなくなつても、本件牧野が協同組合に売渡され、組合が本件牧野を含め売渡を受けた牧野全体を統一的に牧場として経営し組合員に共同利用させるのであるから、原告らは従前の事実上の使用利益を喪失しても組合員としての組合の牧場を利用することにより結局その各自の営む牧畜業を潰滅させる虞れはない。

2  原告らが本件第一、第二牧野の分割売渡を受けるについて、原告らは牧野としての利用よりは地上の立木を薪炭備林として獲得しようとする意欲が強く、原告らの個人所有に帰した暁には地上の立木を濫伐する虞れが多分にあつた。これは治山治水による国土保全上有害であり、かかる売渡計画を変更してその害を避けんとした本件変更処分は適法妥当である。

被告の答弁に対する原告の主張。

一  本案前の抗弁について。

およそ行政庁の処分というのは、行政庁が公共団体又は国民に対して行う公法上の行為であつて、これらの者の権利義務に法律上の効果を及ぼすものをいうのである。農地委員会は自創法による牧野売渡に関する一連の手続においてその一部を担当し、独立して国家意思を決定してこれを表示する権限を有する行政庁であり、牧野売渡計画の樹立は農地委員会が右権限に基き特定の牧野につきそれが自作農創設のため農業に精進する見込のある者に売渡すべきことを予定する行為で、これによつてその者に牧野の売渡を受くべき法律上の地位を設定し、牧野取得の権限を生ぜしめる効果を生ずるものであるから、行政庁の処分であることは疑を容れないところである。被告は、行政庁の内部的意思決定に過ぎないというが、既に知事の認可によつて右に述べた法的地位、権限を発生せしめる効果を確定したものであつて、法的効果の未だ発生しない内部的意思決定に過ぎぬものではなく、一個の独立した行政処分である。従つて、その変更処分もまた処分庁たる農地委員会の行政処分であつて、変更について知事の認可のあつた後においては違法な変更処分の取消を求める行政訴訟はゆるされるべきである。

二  変更処分の正当事由として被告の主張する事実について。

すべて否認する。特に浦河町農業協同組合こそその売渡を受けるべき牧野上に存在する立木を濫伐する意図を有するものであることを強調する。

証拠。<省略>

理由

第一本案前の抗弁について。

被告は、政府所有牧野の売渡計画の樹立は、市町村農地委員会による牧野買収計画により買収された私人所有牧野の売渡計画と異り、公告の定めがなく対外的効力を有せず都道府県農地委員会の内部的意思決定に過ぎず、上級行政庁たる知事の認可を得て売渡計画として確定しても、利害関係人に対し何らの具体的法律効果を生じていないのであるから、これを抗告訴訟の対象としてその取消を求めることはできない、と抗弁する。

自創法による政府所有牧野の売渡計画の樹立が都道府県農地委員会の内部的意思決定に過ぎないことはまことに被告主張のとおりである。しかも、市町村農地委員会による買収牧野の売渡計画と異り公告・縦覧の手続の定めがないこと、従つて異議・訴願の手続も存在しないことは、自創法第四一条第一乃至第三項、第一八条の規定の解釈上明かである。(政府所有牧野については第一八条によつて準用される第八条の規定中、異議・訴願に関する部分は除外して読むべきものである。)しかし公告によつて第三者に対する関係において対外的効力の発生するということがなくても、当該売渡計画が上級行政庁たる知事の認可を経ると、売渡処分庁たる知事は当該売渡計画に従つて国有牧野の売渡処分をしなければならない自創法上の法的拘束を受けることとなるのであるから、その限りにおいては、当該売渡計画に組入れられ牧野の受渡を受けるべき者にとつて、反射的に、当該売渡計画に従つて牧野の売渡を受けることのできる法律上の地位ないし期待権を発生するものといわねばならない。ところで知事の認可を経た政府所有牧野の売渡計画をさらに変更する処分、すなわち当該売渡計画の取消と、同時にこれに代る新たな売渡計画の樹立とは、その内容において売渡の相手方を変更する場合においては、変更前の売渡の相手方の前叙の既得の期待権を消滅せしめることをその内容の一部とすることとなる。そして右変更に対し知事が認可を与えたときは、知事は変更された新売渡計画に従つて売渡処分をしなければならないのであるから、右期待権は知事の売渡処分を俟たずして消滅せしめられたものというを妨げない。このように売渡計画の変更は、当初の売渡計画樹立の場合と異り、その変更内容のいかんによつては第三者の既得の期待権を剥奪することがあるのであつて、そのような内容を有する変更処分は、これを何らの法的効果を伴わないものというを得ない。かかる変更処分は、それ自体いかに都道府県農地委員会の内部的意思決定に過ぎず公告手続も異議・訴願手続もないとはいえ、当該農地委員会が主体となり私人の法益たる期待権を剥奪することを目的の一部とし且つかかる法的効果を伴う一の行政行為である。この点において知事の認可を得た売渡計画が反射的に売渡予定者に期待権を発生するに過ぎないのと異る。そうであつてみれば、かかる売渡計画変更は、少くとも知事の認可を得た後においては、知事の新売渡計画による売渡処分を俟つまでもなく、既得の期待権を侵害せられた者のために売渡計画変更処分そのものとして独立して抗告訴訟の対象たる行政処分となり、知事の売渡処分を事前に抑制することを妨げないものと解するのが相当である。

よつて、本案前の抗弁はこれを採用しない。

第二本案。

一  当事者間に争ない事実。

北海道農地委員会は昭和二五年七月四日政府所有の牧野である北海道浦河郡浦河町所在の農林省日高種畜牧場用地について自創法第四一条第一項第二号、第二項、第一八条の規定に基く牧野売渡計画を樹立し、同日北海道知事の認可を得た。右売渡計画は、売渡の相手方として、団体としては浦河町及び浦河町農業協同組合に、個人としては牧場隣接部落民で自作農として農業に精進する見込ある者に、牧場用地を分割して売渡そうとするものであつた。その個人売渡の対象地は、浦河町字上向別部落の原告木戸口四郎蔵外二七名に対する別紙第三目録記載の牧野(本件第一牧野)と、同町字上杵臼部落の原告福岡松蔵外一八名に対する別紙第四目録記載の牧野(本件第二牧野)とであつて、いずれも原告ら各自の農耕地と地続きの牧場用地の一部であり、原告らの中の一部の者は従前から自己所有牛馬の放牧に使用していた。原告らは自創法の定めに従い牧野買受けの申込みをして、右売渡計画に組入れられたものである。右売渡計画樹立後満一ケ年を経過した昭和二六年七月五日に至つて道農地委員会は右売渡計画を変更し、右計画を取消してこれに代る新計画を樹立し、知事は右変更に係る新計画を改めて認可した。右変更処分は、本件第一、第二牧野を原告らに売渡すことを取消し、これを浦河町農業協同組合に対し同組合に売渡されるべき他の牧場部分と一括して売渡すこととしたものである。

二  「知事の認可を得た政府所有牧野の売渡計画」の「取消変更」が適法なりやの判断基準。

一般に行政庁は自ら行つた行政処分を再度勘案して違法又は不当と判定するときは自らこれを取消すことができるものと解するのが、行政作用の目的的性格に照らして相当である。殊に当該行政処分が行政庁内部の意思決定たるに止まる場合には原則として当該行政庁の自由裁量によつて取消がゆるされるものと解せられる。しかし、たとえ内部的意思決定たるを出でない場合でも反射的に特定の私人に法律上の地位乃至権利を発生せしめ、従つて当該行政処分の取消が一旦発生した私人の権利を覆滅するような場合には、もはや行政庁の自由裁量はゆるされず、取消を相当とするだけの公益上の必要がある場合でなければならない、と解するのが相当である。

これを政府所有牧野の売渡計画についてみれば、自創法に基く自作農創設を適正妥当ならしめる行政目的に応じ、取消変更をゆるされるべきであるけれども、既に知事の認可により売渡の相手方が特定されその者について当該牧野の売渡を受けるべき期待権が発生した場合においては、都道府県農地委員会はもはや無制限に自由裁量をもつて右売渡計画を取消変更することはできず、より適正妥当な自作農創設を実施するため当該売渡計画を不可とする公益上の要請の存在することが必要である。

三  本件牧野売渡計画変更処分の適否。

1  変更の理由たる公益上の要請。

証人杉立薫、梅田直一、山田正人、阿部哲夫の各証言及び検証の結果に弁論の全趣旨を綜合すれば、農林省日高種畜牧場用地の解放に当り、団体としては地元の町である浦河町と浦河町農業協同組合に、個人としては牧場隣接の浦河町字上向別及び上杵臼の両部落の農民たる原告らに分割売渡すこととした第一次の牧野売渡計画によれば、原告らに売渡されるべき本件第一、第二牧野は、牧場の周辺部分を占め、地形上水飲場に適する沢地を有しその他牧場として必要な諸条件に恵まれ、牧場としての利用度が高いのに対し、浦河町及び浦河町農業協同組合に売渡されるべき牧野は、地形の上から本件第一、第二牧野の奥地であつて、第一、第二牧野によつて出入路を遮断せられ、水飲場たる沢地に至る地勢も比較的急傾斜であり、その他牧場成立の諸条件から見て、第一、第二牧野を切離され、日高種畜牧場時代の牧場が有した一体性を喪失することによつて、新牧場としての利用度が著るしく低下すること、また本件第一、第二牧野を浦河町農業協同組合に売渡されるべき牧野の部分と合併することによつて右に述べた部分的な利用度の高低差が全体として統合され、牧場としての有機的な価値と規模を著るしく増大し、将来において一千頭以上の牛馬の放牧を可能とし、その牧野利用計画の将来性には期待すべきものがあること、が認められ、これらの認定を左右するに足る証拠はない。

2  右の公益上の要請は原告らの期待権を覆滅するに足るか。

第一次の牧野売渡計画によれば、日高種畜牧場用地の解放により原告ら四七名に上る多数の牧野所有自作農が創設されることとなるのであつて、これまた自創法の精神に適合し、大なる公益といわねばならない筈のものである。ところで、もともと原告らが自創法によつて牧野の売渡を受け得る基盤として、原告らと日高種畜牧場との間には従前いかなる法律関係ないし社会的関係が存在したのであろうか。

証人本田道明、梅田直一、山田正人、阿部哲夫の各証言、原告木戸口四郎蔵、山口吉太郎、笹地武の各本人尋問の結果に本田証人の証言によつて成立の認められる甲第三号証及び弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実が認められる。日高種畜牧場に隣接する浦河町字上向別及び上杵臼の部落民(原告らを含む)は、古くから開拓民として部落に隣接する牧場の一部を自家の牛馬の放牧に無断で事実上使用し(牧場と民有地との境界に柵などの施設がなく部落民の牛馬が自然に牧場内に入込む)、牧場側もこれを黙認していた。昭和一二年頃から部落民は牧場長の依頼により労力を提供して牧場内の野草を刈取り乾草として牧場に納め、また牧場の一部を農耕して生産された麦稈、稗から、稲藁等を牧場に納め、これに対して牧場側は単価を定めて刈賃や代金を支払うという相互依存関係を生ずるようになつた。しかしこの労力提供や物納は当時の部落民の勤労奉仕の精神に立つた徳義的な性格をもつものであつて、これをもつて爾後の牧場用地の一部使用と対価関係に立たしめるような契約が成立したわけではない。また、この頃牧場の一部すなわち部落に隣接した部分を部落民個々の小規模な放牧や野乾草・飼料の収穫に適宜使用するについては、区域を定め、区劃をし、正規の柵や施設を設けたりするわけではなく、使用料の定めなどもしない、ということで、部落代表者と牧場長との間に事実上の協定ができたが、もとより正式な部落民と農林省当局との間等に国有地の使用貸借契約が成立したものではなかつた。以上のような状態は終戦後日高種畜牧場が閉鎖されるに至るまで継続して事実たる慣習となつていた。以上の認定を覆えすに足る証拠はない。

右に認定したような事実上の慣習に基く政府所有牧野の部落民による使用関係を基盤として第一次の牧野売渡計画は樹立され、道農地委員会はかかる使用関係に在る原告ら部落民個々人に対する本件第一、第二牧野の分割売渡を予定し、知事もこれを認可し、原告らはそれぞれ従前の恩恵的な事実上の使用地の一部を適当な区劃割により自己所有の牧野として取得することのできる期待権を獲得したのである。それ故、原告らの有する期待権は、事実たる慣習によつて取得した恩恵的な事実上の利益が、売渡処分の実現によつて一躍正規の牧野所有権化するという内実をもつのである。

もとより、原告らは知事の認可まで得た本件牧野売渡計画を取消変更された結果、ただに右期待権を奪われるに止まらず、本件第一、第二牧野が浦河町農業協同組合に売渡されることとなれば、爾後は従前多年にわたり享有した牧野利用の利益をにわかに喪失し、その利益の上に築かれ維持発展しつつある農業経営はその基礎の一部を奪われることとなる道理である。しかしながら、そのため原告らの牧畜乃至農業は原告ら主張のように潰滅し崩壊するであろうか。本件全立証を検討してみると、このような明白にして切迫した虞れが現存するものと認められる証拠はない。かえつて、証人杉立薫、山田正人、阿部哲夫の各証言、原告木戸口四郎蔵、山口吉太郎、笹地武の各本人尋問の結果を綜合すれば、原告らはすべて有畜農家であり、浦河町農業協同組合に加入している組合員であつて、本件牧野売渡計画の変更処分による新計画によつて右協同組合に売渡されるべき牧野について右協同組合員としてこれを共同使用することができるのであつて、組合としても原告らをして組合員として組合経営牧場を共同使用せしめる意思であり、原告らは混放形態ではあるが放牧による牧畜をなお継続し得ること、が認められる。すなわち原告らが事実たる慣習によつて享有した事実上の利益は組合経営牧場全般の共同利用権に変形されて存続するのであり、組合の原告らに対する所遇によつて原告らはその損害を最少限度に喰止め得るものである。組合として原告らを排斥し、その組合員としての牧場使用を他の組合員と差別して排除・制限する意図があるものと認めるべき証拠は存しないし、また組合が将来本件牧野利用事業を放置し組合員の福祉に誠意を示さないであろう証拠もない。殊に組合が組合の牧野事業計画遂行上組合員の特殊事情を無視し、原告らを含む上向別、上杵臼部落民に対し、部落民が他の組合員と異り、多年にわたり日高種畜牧場隣接部落の農民として牧場との間に労力奉仕等の徳義関係や経済的社会的相互依存関係によつて各自の農業経営を維持し来り、その事実たる慣習によつて牧場の一部使用の利益を享有して来た事実について深甚の考慮を払い、かかる特殊事情に応じた牧野利用上の特段の配慮を能う限り与えることこそ望ましい。また組合所有牧野となつた後において組合の現地管理人が事実上原告らに対し不利益な処遇を与えることのないよう組合は管理の実際を監督すべきものである。このような実際上の運営点について、原告山口の本人尋問の結果及び弁論の全趣旨から、一抹の不安がないでもないが、組合の良識に基く適切妥当な処理が期待できないとまで判定すべき証拠もない。

以上の認定の上に立つて、本件第一、第二牧野が浦河町農業協同組合に売渡されることによつて生ずる公益と、原告らに分割売渡されて四十七名の細分化された牧場所有自作農が創設される公益とを比較衡量するとき、原告らが浦河町農業協同組合の組合員たる事実によつて、後者の公益は「農民の協同組織の発達による農業生産力の増進と農民の経済的社会的地位の向上ひいて国民経済の発展」(農業協同組合法第一条)という前者の公益の中に発展的に解消しつつ包摂されるものと評価するのが相当である。原告ら個々人にとつては、たとえ細分化された牧野であつても、各自牧野所有者となつて牧畜し農業経営をする方が理想であることは原告木戸口、山口、笹地の各本人尋問の結果によつて十分推認されるのであり、組合経営の牧場を利用する場合、混放による牛馬の傷害や伝染病等牧畜上の不利益の存することもこれを推認することができるけれども、原告らの所有権取得の期待権の基盤に見られる薄弱な内実並びに知事の売渡処分に至るまでの道農地委員会の売渡計画の変更についての裁量権の広さに鑑みるときは、原告ら個々にとつての農業経営上の理想と具体的利益とにもかかわらずなお以上の評価を左右するに足りない。結局、協同組合による牧野事業計画による公益上の要請は原告らの期待権を覆えすに足るものと判断される。

四  そうであつてみれば、本件牧野売渡変更処分は前掲二に説示するところによつてこれを適法と判断すべきである。よつて右変更処分の違法を主張してその取消を求める原告らの請求は失当であるからこれを棄却する外はなく、訴訟費用の負担について民訴法第八九条、第九三条第一項但書の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 立岡安正 吉田良正 秋吉稔弘)

(目録省略)

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